意外な容疑者
数日後--
「私」は明智小五郎の下宿先を訪ねていました。
ここで今更ながら明智小五郎の姿形についての描写がされています。
皆さんは彼についてどのようなイメージを抱いていたでしょうか?
読者一人ひとりがそれぞれオリジナルのキャラクター像を頭の中で作り上げられるのが小説の面白さですよね。
さて、その一助となりますか。明智小五郎はこんな人。
年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩せた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師の神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻すのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯を締めている。
D坂の殺人事件より
古今東西、探偵といえば正統派な二枚目とはいかないもので、少し変人っぽさを感じさせる天才肌といったこの描写はいかにもな感じですね。
話は戻って、この事件を語るにおいてどうしても避けられない証言があります。
それは犯人の着物の色について、黒と白の2パターンの目撃証言があったことですね。
これについては「私」がある推理を披露してくれます。
僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人が白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。(中略)では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。
D坂の殺人事件より
なるほど、ここで日本家屋の特性を出してきました。世界よ、これがジャパニーズミステリーだ。
これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。
D坂の殺人事件より
発想は面白いのですが、偶然が過ぎる気もします。(もっとも江戸川乱歩の作品には偶然が過ぎるトリックを使ったミステリーもあるのですが。屋根裏の散歩者お前のことだよ)
また、白と黒のだんだらの着物というのは些か派手な柄です。果たしてそれはこれから殺人事件を起こそうという犯人にとって相応しいのでしょうか?
ところが「私」はこのような派手な柄の着物を着る人は限られていることに着目します。
それはつまり犯人が格子のトリックを活かすためにあえてこの着物を選んだということでした。
つまり犯人はーー
君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。
D坂の殺人事件より
まさかの明智小五郎でした。犯罪学者?
「私」の推理の根拠はもちろんこれだけではありません。ここでは冗長になるので省略していますが、探偵小説における名探偵の前座という役割をしっかりと全うしてくれる推理っぷりなので、ぜひ原作を読んでみてくださいね。
破られる密室
さて、「私」は密室の謎にもしっかり触れています。
これについては本作を読んでいて僕が一番衝撃を受けた部分です。
僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です。(中略)店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから、便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。
D坂の殺人事件より
え、これ密室って言っていいの?
なお、アイスクリーム屋が「路地を出入りした者がいない」と話していましたが、路地を出た角に店を出しているので、これは意味のない証言ということになります。
前回僕が「ここまで出た情報のみで密室殺人のトリックを見破るのはハッキリ言って無理」と書いたのはこのシチュエーションが推理編になってから判明するためです。
もしかしたら、“土間続きで裏木戸まで行ける”というご近所さんとの関係がこの当時は常識だったのかもしれません。建物レベルまで落とし込まれたこの距離感は現代ではイメージしにくいですよね。さすが日本家屋。
かくして、密室は破られた(?)のでした。
また、「私」は蕎麦屋の主人から実際にトイレを借りた人間がいたという新たな証言を得ていました。
つまり、「私」の推理によると明智小五郎が殺人を犯し、その後土間を通って蕎麦屋に行ってトイレを借りるように見せかけ、そのまま蕎麦屋の裏口から出ました。
その後、何食わぬ顔で向いのカフェに入り、「私」とコーヒーを飲んでいたのです。アリバイ作りも完璧です。
さあ、明智小五郎は本当に犯人なのでしょうか?
反証
「私」の推理に耳を傾けている間、明智小五郎はずっと無表情でした。「私」は彼を犯人だと考えているので図々しい男だと思うほどでした。
そして、推理の披露が終わると、彼はゲラゲラと笑い出しました。
彼に言わせれば「私」の推理は「余りに外面的で、そして物質的」だそうです。
どういうことでしょうか?
彼はミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本の一節を引用して持論を展開します。
その引用によって、人間の観察や人間の記憶が実に頼りないものであることが暴かれます。
つまりーー
私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。
D坂の殺人事件より
着物の色が白だの黒だのという証言は全く当てにならないということになります。
「私」の推理である格子のトリックはいくつかの偶然が重なってようやく成立するものでした。
それを完全に棄却することはできませんが、見間違えが起きる可能性と天秤にかけた時に現実味がある方に傾くとしたらどちらに傾くのでしょう?
こうなってくると手がかりも何もありません。
犯人像はよりぼやけることになり容疑者が無限に存在することになってしまいます。
しかし、明智小五郎は宣言するのです。
「で、君は犯人の見当がついているのですか」
「ついていますよ」
D坂の殺人事件より
畢竟、明智小五郎は名探偵なのです。
明智小五郎の推理
明智小五郎は犯人に迫るため心理的なアプローチを試みます。
彼が気になったのは被害者の身体に刻まれた生傷の数々でした。
そして、生傷が刻まれていたのは彼女だけだったでしょうか?
そういえば、ウェイトレスの噂話にありましたね。
蕎麦屋の旭屋のお神さんだって、よく傷をしているわ。
D坂の殺人事件より
ということは今回の被害者の夫、蕎麦屋の夫、二人ともがDVを行っているのでしょうか?
明智小五郎は二人に取り調べを行いました。
結果、二人とも乱暴者ではないということが分かりました。大人しそうな物分かりのいい男たちだったのです。
しかし、彼はそれこそが怪しいと睨みました。何か秘密があるのではないか、と。
明智小五郎は彼らの秘密を暴くため、様々な話をしました。曰く、それはーー
彼の心理的反応を研究したのです。
D坂の殺人事件より
つまるところ、彼は現代で言うところのプロファイリングをしたんですね。
そして、犯人のあられもない性癖が白日の元に晒されました。
犯人は“ひどい惨虐色情者”でした。これは現代で言うところの<サディスト>。
犯人は自分の妻で自身の欲望を満たしていました。しかし、妻にその趣味はなく、彼の欲望を十分には満たしてくれませんでした。
どこかに自分の欲望を受け止めてくれる人間ーー被虐色情者<マゾヒスト>はいないものでしょうか?
ところがその人物は二軒隣に暮らしていたのです。
その人物もまた自分の欲望を夫によって満たしてもらっていました。夫は話していましたね。躊躇しながらも傷は自分がつけたものである、と。
二人の男女はひょんなことからお互いの性癖を知ってしまいます。まるで磁石のN極とS極が引かれ合うように惹かれ合ったのです。
だから、古本屋の妻も蕎麦屋の妻も身体に生傷があったんですね。
そして、口にすることも憚れるその趣味はだんだんとエスカレートしていき、あの日二人はついに究極的に満たされたのでした。それは殺人という人道的に許されない形での成就でした。
これで遺体に抵抗した痕跡が見られなかった理由も説明がつきました。
犯人はもうお分かりですね。
で、僕の考を云いますとね、殺人者は旭屋の主人なのです。
D坂の殺人事件より ※旭屋は蕎麦屋の店名。
「私」の得た蕎麦屋からのトイレを借りた人間がいたという証言も嘘だったんですね。
事件は呆気なく結末を迎え、この小説もまた呆気なく終わります。
そこへ、下の煙草屋のお上さんが、夕刊を持って来た。(中略)そこには、小さい見出しで、十行許り、蕎麦屋の主人の自首した旨が記されてあった。
D坂の殺人事件より
事実編のウェイトレスの話に蕎麦屋の妻にも生傷があった話を掲載しました。鋭い方は蕎麦屋の妻の遺体にフォーカスが当てられている中でまるでヒントのように現れた文脈に違和感を覚え、犯人像を察することができたのではないでしょうか?
後書き
これにてD坂の殺人事件は解決の目を見ました。
結末としてはかなり意外というか、「それでいいの?」と思える内容だと思います。
江戸川乱歩はある種のエロティズムに傾倒していたので、明智小五郎のデビュー作にも関わらずこのような歪な動機を持つ犯人像ができてしまったのでしょう。
皆さんは事実編を読んだだけで犯人像が思い浮かびましたか?
明智小五郎はプロファイリングという現代でも通ずる手法で探偵としての第一歩を踏み出したのです。
この後の彼の活躍は機会があればまた紹介したいのですが、それまで待てない方はぜひ色々と読んでみてください。
僕が手に取った江戸川乱歩傑作選はこの他に収録されている話も短編ばかりで読みやすいです。そして、面白い。そして、変態がたくさん。
また、既に著作権が切れている作品ばかりなので青空文庫というインターネット上の図書館で無料で読むこともできます。
もっと興味が沸いた方は江戸川乱歩辞典がオススメ。
江戸川乱歩にまつわる様々なことが書かれているニッチな趣味の辞典です。
僕は作品を読むたびにこの辞典を引いて、その作品の背景を読み解いて楽しんでいます。
ミステリー好きならぜひ知ってもらいたい江戸川乱歩の世界観。
これが現代のミステリーの礎になっていると思うと感慨深いですね。
江戸川乱歩を語るならエロスも忘れてはなりません。
ばうぶっく(@bow3book5wow)さんの人間椅子の感想も併せてどうぞ。
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